映画の力で、日本を元気に。CINEMATIC PRODUCTION始動!〜前編〜

 

この度、株式会社エードットは、ショートフィルムの製作・配信・イベントプロデュース等を行う株式会社ビジュアルボイス(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:別所哲也)と共同で、「映画」というコンテンツを駆使し、社会や企業に貢献する総合ブランデッドムービーソリューション『CINEMATIC PRODUCTION(シネマティックプロダクション)』を新たに発足いたしました。

企業による一方向的なマス広告よりも、SNSやYouTubeなどの生活者による主体的な情報発信が世の中のムーブメントに繋がる昨今、ファンを獲得する新たなマーケティング手法として注目を浴びているのが「ブランデッドムービー」です。生活者にとっての価値(ストーリー性やエンターテイメント性)と企業のブランドメッセージが両立している本ムービーは、まるで映画のように人々の心に響く圧倒的なコンテンツ力を持ちます。

そこで、クリエイティブ・PR・SP事業を中心に“常識にとらわれない広告会社”として様々なブランドをプロデュースするエードットと、ショートフィルム総合ブランド『SHORTSHORTS』を自社で運営するビジュアルボイスがタッグを組み、物語や映像のコンテンツ力を駆使した『CINEMATIC PRODUCTION』を発足。本事業を通じて、あらゆる企業の『夢』や『挑戦』をサポートすることを目指すとともに、企業・団体が抱える課題を、“映画”という物語を通じて解決していきます。

 

 

さて、今回のエードットジャーナルでは「伊達の部屋」の第4弾目として、株式会社ビジュアルボイス代表/別所哲也さんにお越しいただき、ショートフィルムとの出会いや映画祭を始めたきっかけ、今後目指す展望についてお話ししていただきました!ご覧ください。

 


別所哲也(べっしょ てつや)

俳優・株式会社ビジュアルボイス代表取締役社長

静岡県出身。大学在学中に俳優としてデビューし、1990年にはハリウッドデビューを果たす。1999年には、日本発の国際短編映画祭「アメリカン・ショートショートフィルムフェスティバル(現・ショートショートフィルムフェスティバル)」を主宰し始め、今年で21年目を迎える映画祭である。

 

SHORTSHORTS

ショートフィルム(短編映画)の総合ブランド。1999年より開催している米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル& アジア」(SSFF & ASIA)を中心に、各種上映イベント、作品配給、作品製作、企業や行政などとのコラボレーションプロジェクトを展開。5G時代の到来により大容量のデータ通信が可能になることで、スマートフォンなどの携帯デバイスでも高画質な映像コンテンツ・映画作品をより快適に楽しむことができるようになる一方で、映画館での鑑賞にとどまらないリアルな場所での映画体験もますます重要視されています。SHORTSHORTSは、若きクリエイターをさまざまな活動から支援するとともに、ショートフィルムの活用場所を広げていきます。https://www.shortshorts.org 

 

アメリカで価値観の違いに刺激を受けた青年期

 

伊達: 別所さんが俳優になられたきっかけってなんですか?

別所:高校卒業後、東京に出てきて英語劇というお芝居に出会いました。それまでは漠然と「世界中を飛び回る仕事がしたい」と思っていたのですが、お芝居の面白さを知り「俳優っていいな」と思って俳優を始めたんです。

 

伊達:「俳優っていいな」で俳優になれちゃうものなんですか? 

別所:なりふり構わず「ただ好きなことをやりたい」って感じだったので、おそらくその頃からベンチャー気質だったんでしょうね。売れない時期は不安になったりもしたけど、「まあなんとかなるさ」という気持ちで芝居を続けてました。

 

伊達:そしてその後「トレンディ俳優」と呼ばれるようになるんですね。 

別所:そう。でもね、当時トレンディドラマの波があったんだけど、そのタイミングで受けたアメリカのオーディションになんと僕が受かって、そのままアメリカに行っちゃったんです。それが平成の世になってすぐのことでしたね。

 

伊達:アメリカ!別所さんの人生そのものがドラマチックですね…

別所:いやいや、とにかく全力を尽くそうと思って、ダメ元で受けたオーディションに受かったもんだから、こちらもびっくりですよ。それで「チャンスを掴めた!」と思って迷わずアメリカに行ってみたものの、自分の英語が全然通じないから人と話すのも嫌になっちゃって、2ヶ月くらい引きこもっていた時期もありました。でもその2ヶ月を乗り越えたことで精神的にも強くなりましたし、アメリカの生活を通して、ものの考え方もガラッと大きく変わりましたね。

 

伊達:どういうところが日本と違いましたか?

別所:日本にいると、与えられたバジェットで、与えられた期日までに、何かをコンプリートするのがすごく評価されるんだけど、アメリカだとそうじゃない。枠にはまらない現地の俳優たちの生き様を見て、「与えられた環境で、与えられたことを成し遂げる」ことだけが素晴らしいことじゃないなって思ったんです。で、その感覚のまま日本に戻ってきちゃったから、「アメリカかぶれのちょっと変な俳優さん」って見方もあったかもしれないけど(笑)アメリカでの経験のおかげで、今の僕がいると思いますね。

 

 

「大きいことだけが良いことじゃない」ショートフィルムで新しい価値をつくる

 

伊達:ショートフィルムとの出会いはいつですか?

別所:ちょうど1997年、アメリカと日本を行ったり来たりしている時に出会いました。その頃Windowsが登場し、インターネットの時代に入ったことで「映画のつくり方も変わるな」と直感的に思いました。そんなタイミングでショートフィルムに出会ったものですから、「俳優も楽しいけど、映画をつくるのもなんだか楽しそうだぞ」という気持ちになったんです。それに「大きいこと=良いこと」でもないなと思ったんですよね。例えばアメリカのでっかい車よりも、燃費のいい小さな車が重宝され始めたように、映画も長ければいいってものではなく、短くても十分表現することはできるはずだ、と思いました。でも当時の日本にはそういう事業がなかったので、「じゃあ自分でやっちゃえ」ってショートフィルムの映画祭をつくったんです。

 

伊達 行動力がすごい…。でもなんで映画“祭”をつくろうと思ったんですか?

別所:とある映画祭に行った時、有名無名関係なく、映画関係者と現地の人たちが、普通にぐちゃぐちゃに混ざって映画を楽しむ姿に感動しました。肩書き関係なく、みんなが集まって、純粋にワイワイお祭りができる、って素敵じゃないですか。でもその当時、そういう映画祭は日本にはまだなかったから、じゃあ自分でつくってしまおう、と思ったんです。

 

伊達:ないならつくっちゃおう、という発想が良いですね。

別所:僕がアメリカに行った時、現地の人たちの「ないならつくってしまおう」という自由な発想に何度も驚かされましたね。それに当時、アメリカにいた人に「日本人には3つできないことがあるんだよ」と言われたことがあるんです。

 

伊達:3つの出来ないこと?

別所:そうです。まずランキングをつくって、それをビジネスにすることが下手。それと日本人ってものづくりは得意なんだけど、ものを集めて、体系立てて、価値に変えるというアーカイブが下手。そして最後に、他の人のものを「これ良いですよ!」と磨いて出して、オークションすることが下手。

 

伊達:なるほど。

別所:そういう意味では映画祭ってまさに、ランキングをつける場所じゃないですか。褒めて、おすすめして、一方で「こりゃダメだよ」って言ったり…そういう場所をつくらないと、新しい価値をつくっていくことは出来ないし、ビジネスとしてお金に変えていくことも出来ないから、それなら僕が映画祭をつくってやろうと思い、映画祭を始めました。

 

 

〜後編に続く〜